第2話 惨劇

 暗闇の中に、赤い二つの物体が浮かんでいる。ゆっくりとだが、徐々に自分に近付いてくる。どうしようもない恐れが身体を覆い、脳は逃げろと言う命令を出す。しかし、身体は全く言う事を聞いてくれない。こちらの都合など顧みず、その赤い二つの物体は、速度を緩めず目の前にまで迫っていた。

 近くになるにつれて、その物体が何なのかはっきりした。その物体の正体は目であった。しかし、それは人間の目にしては不自然な色である。赤、それも血のように赤い色だ。


(どこかで見たことがある)


 昔、どこかで同じような目をした人物に出会ったような気がした。赤い目を見つめると、まるでその中に吸い込まれるような感覚に襲われた。一瞬の出来事だったが、その赤い目の中に、何万、何億という数え切れないほどの人の記憶が存在しているかのようだった。


『真実は、自分で発掘するもの・・・』


 あの老人が語った言葉が、頭の中に響き、ある映像が脳裏に浮かんだ。細長い手足、顔には多くの年月を生きてきた証しがシワとなって刻まれ、そのシワに囲まれるようにして、一際目立つ赤い目があった。それは、まさしく長年思い出そうとしても、思い出せなかった老人の容姿であった。


(そうか、あの老人の目が赤かったんだ)


正歴2356年 夏


「・・・・・・先生!!」

 誰かの声がしたような気がして、目をうっすら開けた。しかし、眠気が再びネフを襲い、再び目を閉じた。

「・・・ネフ先生!!」

 ネフは飛び起き、辺りを見回した。声がした方向に目を向けると、同じ高校の英語の先生が立っていた。

「ネフ先生、もう昼休みは終わりですよ。こんなポカポカな天気ですから、うとうとしてしまうのは仕方がないですね。でも、もう午後の授業始まってしまいますよ?教頭にお説教をしてもらいたいのなら、このままお昼寝してても構わないんですけどね。では、お先に失礼します」

 ネフは頭を片手でかきながら、先ほど見た夢を思い出していた。子供の時に会った老人の両目は赤かった。何でこんなことを突然思い出したのか、自分でもよく分からなかった。

 ネフは、これ以上夢について考えるのをよして、午後の自分が担当をしている教室へと急いだ。


『正歴2346年に、数多く存在した領は州となり、アメリア合衆国を建国。また、敵対関係にあったガリア共和国とも和解しました。アメリア合衆国大統領が、地球人類代表となり、当時ムーンレィスを統治していたディアナ・ソレルと共同声明を発表。その中で、アメリア合衆国は、黒歴史技術の段階的開放と引き換えに、ムーンレィスの帰還を承諾しました』

 ネフは、教科書を読みながらも、さっき見た夢が気になって仕方がなかった。今まで、老人の容姿は忘れていたのにも関わらず、奇妙にも、この数日間で次々と夢の中で思い出していくのだった。

 老人の顔のシワの数だけからしても、九十歳は遥かに超えているように思われた。歳に似合わず、背中も曲がっていなかったのを記憶している。そして何よりも、老人の一番の特徴である赤い目は、あたかも旧世界から流された人類の血が全て濃縮されているかのようだった。

「先生!!」

 ネフを現実に引き戻したのは、あのハスキーなエレン・スティックルの声であった。ネフは、教科書から彼女に視線を移すと、彼女が立ち上がっているのが見えた。

「何ですか、エレン?」
「先生は、あの時の約束忘れてませんよね!?」
「・・・あの時の約束?」
「やっぱり、忘れてたんだ〜。先生は、ムーンレィス戦乱の時の話しを聞かせてくれるって言ったじゃない!」

 エレンの言葉に、「あっ」と教室内は騒ぎ出した。同級生も今までその約束を忘れていたようだった。

「分かりました。えっと、あと30分授業は残っていたんですが、私があのムーンレィス戦乱の時に何をしていたか、何を見たのか、みんなに話しましょう」

 教室は歓喜と拍手に満たされた。ネフは10年前のあの日を思い出しながら、ゆっくりと話し始めた。

「アメリア合衆国が誕生する前の年、正歴2345年の夏でした・・・」


――10年前

 その日、ネフは北アメリア大陸イングレッサ領ノックス郊外にいた。ネフは教師になるため、ノックスから数百キロ離れたヤーク領の大学寮で生活していた。彼がノックスにいるのは、ちょうど大学が連休に入ったからだ。

 2年ぶりに帰ってきても、父はネフに農家を継がせるという夢を裏切られた事を、いまだに根に持っていた。「おかえり」という言葉もなく、家に到着して間もないにも関わらず、「壊れた農作業用のオートモビルを修理するのを手伝え」と言い倉庫へ向かってしまった。手伝わない訳にもいかないので、修理を手伝うことにした。しかし、ネフの専門は歴史学であり、オートモビルに関して全く無知であった。その結果、1時間で済むはずの作業が3時間もかかってしまい、終わった頃には辺りはすっかり暗くなってしまっていた。

「そろそろ夕食の時間だから家に帰るぞ」と言い、父は歩き出した。
「ちょっと、ここで涼んでいくよ」

 不思議そうに、父は振り返り自分の息子を見つめた。父は、息子が月を眺めている様子を見て察したのか、「母さんが食事の支度をして待っているから、遅くなるなよ」と言い残し、父の姿は暗闇と同化し見えなくなった。

 あの老人に会ってから、ネフは月を眺めることが日課となっていた。半時ほど、月の光の下で草原に寝そべっていた時だった。何かエンジン音が聞こえたと思うと、ミリシャという軍隊が最近開発した戦闘機「ヒップヘビー」の編隊が上空を通り抜けていった。

 その編隊が飛び去った方向、イングレッサ領の首都ノックスをネフは見つめた。ノックスの夜空に、光の道が数本浮かび、上空から降りてくる何かを必死に探すように動き回っている。

「サーチライト?何かお祭りでもあるのかな?」
 そうネフが思ったのは、母から最近ミリシャがパレードを連日のように行っているので、うるさくて仕様がないと言う話しを聞かされていたからだ。

 そんなことを考えている時に、上空から何かが落下するような音が聞こえてきた。ゆっくりと上空を見上げると、月を背景に巨大なシルエットがあった。そのシルエットは、みるみるうちに大きくなりになり、数キロ離れた場所へ落下した。

ドーン

「うぁ!!」

 地震のような衝撃が襲い、ネフはしりもちをついた。隕石なのか、どうか分からなかったが、巨大な質量をもつものが地表に衝突したことは確かだった。衝突によって空中に巻き上げられた土煙の向こうには、「ダチョウ」を思わせるような巨大なシルエットが浮かんでいた。

 ネフは次の瞬間、自分が見た事実を信じる事が出来なかった。その巨大な物体が動いたのである。僅かに動いただけではなく、その巨大な物体は、大きなドームの下に、二本の脚のような物が付いており、それを巧妙に動かし、人間のように走り出したのである。

 恐ろしいほどの速さで、あの「巨大生物」はノックスの方へと姿を消した。茫然と立ち尽くすネフを、再び先ほどとは比べ物にならない衝撃が襲い、ネフの意識は途切れることなった。



「痛てて・・・」

 頭に鋭い痛みが走り意識を取り戻したネフは、上体を起こし頭を無意識に押さえていた手を見ると、頭から少し出血しているのか赤く染まっていた。どれだけの間、気絶していたのかネフには分からなかったが、持っていたハンカチで頭の傷を押さえながら、ふらふらしながらも立ちあがった。ネフの視界に最初に入ったのは、原形をとどめていないヒップヘビーの残骸であった。辛うじてそれがヒップヘビーだと分かったのは、衝撃で曲がったプロペラが近くに転がっていたからだった。

 ネフは、パイロットが無事かどうかを確認する為に、まだあちらこちらで燃えている機体に近付こうとした時、上空を稲妻が走った。しかし、それは自然のものにしては不自然だった。何かに光が捕らわれているのか、ノックスの方向へと一直線に通りすぎていった。ネフは、反射的に顔を覆い隠した。稲妻が通りすぎた後、熱波が襲ったからだ。ヒップヘビーの残骸が盾となり、ネフが軽いやけどで済んだのは、不幸中の幸いだった。

 辺りを見まわし、安全を確認し立ちあがると、ノックスは真っ赤に燃えていた。ヤーク領でも噂になっていた、ガリア大陸からの侵攻かとネフは一瞬考えたが、すぐにその考えは消えた。あの老人の言葉を思い出したからだ。


『大昔、人は天を裂く光の弓矢を持った巨大な機械に乗っておったんだよ。今では、数は少ないがお月様にも残っておるけどな・・・』

「月の人たち・・・?」

 ネフは、このような惨劇の中でも、いつもと変わらず、太陽の光を反射し表面を輝かせている月を見つめた。

「あの老人は、本当のことを言っていたんだ・・・」


 日が昇ると、ノックスの美しい街が破壊された姿が露になった。ネフは、ノックスに向かう途中、不運にも戦場となった農場や農家を見掛けた。その牛舎は全焼し、畑には巨大な生物の足が残したクレーターのような足跡が至る所に存在していた。

 ネフが、ノックスに向かう理由――意識を取り戻してから家に戻ると、自分が幼い頃、毎日のように朝昼晩と両親と食事を取っていたダイニングルームが合った場所がなくなっていたからだ。あの巨大生物の足が、運悪く食事をとっていた両親とダイニングルームともども踏み潰したことは、容易に想像できた――それは、亡くなった両親に最後の祈りを捧げてくれる牧師を見つける事だった。しかし、それはこの戦争という恐怖から逃れるための言い訳に過ぎず、ネフは一秒でも早く、この街を離れようと決心していた。




「・・・両親を亡くした後、ヤーク領に何とか戻り、無気力のまま数ヶ月過ごしたあと、私は意を決してミリシャに志願する為に、ノックスに戻ったのはムーンレィス戦乱が終わる直前でした。そこで、私が見た光景は今でも忘れられません。虹色に輝く光が、空を覆って・・・」

ブー

「えっと、ブザーが鳴りましたので、先生の話しはここまでにします。さっき出した、宿題はちゃんと来週までにやっておくように!では、また来週」
『えっー!!中途半端だよ!先生!!』

 生徒たちの抗議には目もくれず、ネフは教室を後にした。職員室へ続く通路を歩きながら、あの日、空を覆い尽くした月光蝶と呼ばれた虹色の輝きが鮮明に蘇るにつれて、心の奥深くに閉まったはずの、両親を失った痛みも同じように蘇ってきた。


第3話へ続く
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