FILE001: 「西暦から正歴へ」by:キトリー・シャード
この文章は、アメリア合衆国ルジャーナ州セン・ルーズ大学にて、
正歴2403年12月10日に行われた「黒歴史論」の特別講義内容の一部を許可を得て引用しています。
初めに〜黒歴史学という学問について〜

 今日は、寒い中お集まり頂き本当にありがとうございます。今では「エアー・コンディショナー」のおかげで、このような寒い日でも、暖かく快適に講義が出来るようになりました。実は、この「エアー・コンディショナー」というものも、黒歴史技術の恩恵であるということは、皆さんもご存知だと思います。驚くべきことに、黒歴史では「エアー・コンディショナー」が最初に使用されたのは、なんと数千年とも数万年ともいわれる大昔の「西暦」という時代だと述べています。

 「西暦」は、少なくとも現在から約5千年以上、もしくは1万年、10万年前もの時代のことを黒歴史学では指します。5千年から10万年とかなり時間の幅があり、正確にいつとは現在の研究段階で申し上げることは残念ながらできません。しかし、この5千年から数万年の時間の幅はあまり重要ではありません。重要なのは、大昔に現在私たちが暮らしている世界と同等のレベルの古代文明「西暦」が存在しているという事実です。また、「西暦」のすぐ後の時代である「宇宙世紀」には、現在のムーンレィスの持つ技術を遥かに超えた時代があった事を、「黒歴史」は証明しているのです。

 まずは、黒歴史学の経過を少しだけ説明させていただきたいと思います。正歴に入ると、黒歴史に関する書物は一種のオカルト、神秘宗教、神話となって人から人へと伝承されていきました。1世紀前までは、黒歴史は単なる「おとぎ話」や「伝説」として扱われていたのです。

 黒歴史学という学問が出来たのは、正歴2345年の「ムーンレィス戦乱」によってもたらされた地球と月の双方の戦災が癒えてからですから、正確に言えば60年も経っていません。しかし、今では黒歴史学は立派な学問になり、世界中の学校の教科書に載っているぐらいです。しかし、今だに解明されていない部分が多くある事も否定できません。その一つの原因は、黒歴史に関する資料があまりにも少ないからです。そこで、今でも世界中で新しい資料を見つけるために、「繰り返しの山(マウンテン・サイクル)」で世界黒歴史発掘調査隊により発掘作業が続けられています。

 黒歴史学にとって、このアメリア大陸というのは非常に重要な場所です。何故なら、ここからそう遠くない「繰り返しの山(マウンテン・サイクル)」にて、最初の古代文明兵器が見つかったからです。その後調査が進むにつれて次々と黒歴史の遺物が発掘されました。その中で再び大きな発見がありました。約30年前に発掘された「光る丸い皿」が、ムーンレィスによる「第28次技術開放計画」によって、「磁気によってデータを記録するデバイス」であることも判明しました。といいますが、ムーンレィスは発掘された当初から、それが何かを知っていたにも関わらず、教えてくれなかっただけですが。

 そして、その磁気データディスクには、私達やムーンレィスさえも知らない歴史のデータが蓄積されていました。そうです、ムーンレィスも知らない歴史が存在するのです。ムーンレィスも我々地球に住む民と同じように、多くの記憶を失っているのです。このように、黒歴史学はまだまだ発展途上の学問なのです。これから、今までの説を覆すような発見があったとしても、何の驚きではないのです。

 ですから、これから私が語る説も、実は「絶対」ではないことをあらかじめご了承ください。しかし、この説が、黒歴史学をさらに発展させ、完全なる人類史の全貌が明らかになるために、少しでも貢献できればと考えています。

〜多時代説〜

 現在、学会と全ての学者が共通して認めているのは、「西暦(A.D.)」以前にも「紀元前(B.C.)」という時代が存在していたこと。そして、「西暦」のある時点から、人類は宇宙への移民を開始し「宇宙世紀(U.C.)」という時代を迎え、最終的に「ハルマゲドン(アルマゲドン)」と呼ばれる最終戦争によって宇宙世紀以降続いてきた文明が崩壊したということです。

 黒歴史学の主流である「多時代説」では、「宇宙世紀」とハルマゲドンの間に、例えば「アフターコロニー(AC)」「アフターウォー(AW)」「未来世紀(FC)」「コズミック・エラ(CE)」といった複数の時代が存在したと唱えています。しかし、この主流の「多時代説」の中でも、この複数の時代がどのような順番で起こったのかを示す決定的な証拠はなく、未だに議論の真っ只中でありまとまった意見は出ていない状態です。

 私はこの説に決定的な証拠がないことに目を付け、『複数の時代は、実は存在しないのではいか?西暦、宇宙世紀、正歴という順番で繋がっているのではないか?』と大胆にも主張したのであります。それが、私と数人の研究者によってまとめられ、今では異端視されている「三時代説」と呼ばれるものです。

 元々、この説の根本的な研究は50年前にイングレッサ州立大学のシド・ムンザ名誉教授が唱えたものです。補足ですが、シド・ムンザ氏は黒歴史がまだ神話だと思われていた頃から、既に黒歴史研究に励んでおりました。彼は、「黒歴史学の創始者」と呼ばれている方です。しかし、ムンザ氏の唱えた説は、現在の黒歴史学会の中では、異端的な扱いをされていることは、皆さんも既にニュースや教科書からご存知だと思います。
 
 「多時代説」が有力な説となった今、皆さんは何故私がこのような的外れた説を研究しているのかと疑問に思われるでしょう。これから、その疑問にお答えしようと思います。

三時代説

 さて、私が昨年発表した論文『西暦から正歴へ』は、先程述べたとおり、従来の黒歴史学とは大きく違い、「三時代説」を基盤に考えています。従来の黒歴史学の「多時代説」は、「人類は、幾多の時代を通して、幾度もの文明崩壊の危機にさらされ、そして「最終戦争」によって決定的な壊滅状態に陥った」と述べています。又、「宇宙世紀」という時代は、約1万年以上前のことだと説明します。

 しかし、「三時代説」は「宇宙に進出する以前の人類史」という意味での「西暦」、「宇宙進出後、最終戦争以前の人類史」を「宇宙世紀」、そして「最終戦以後の人類史」を「正歴」とまず区別します。宇宙世紀と正歴の間には、どのような時代も入らないのが特徴です。

 今までは「宇宙世紀」という時代が1万年前とされてきましたが、私はその半分の4千年前から5千年前という、極めて近い過去に「宇宙世紀」という時代があったのではないかと考えています。

 私が、何故このような説を支持するのか?それは、ある学者の何気ない発見からです。その学者は、黒歴史学の古代兵器研究を専門としている、ガリア大学のタディー・ホリスという方の論文『宇宙的兵器の起源』の中で詳しく書かれていました。その論文の内容は、この60年間の間に、世界中で発掘された宇宙的兵器「モビル・スーツ」――数十年前までは機械人形と呼ばれていましたが――の種類と製造された年代を特定し、その情報を書き記したものです。その中で、彼は次のように述べています。

   『30年間の研究を分析した結果、一つの奇妙な事実に直面した。現在、黒歴史学で有力な「多時代説」を証明する唯一の証拠である、映像資料に見られるような宇宙的兵器「モビル・スーツ」が、今まで1機も発掘されていないことである。現在まで発掘された「モビル・スーツ」は、宇宙世紀の物と思われるものだけであり、年代測定をしても、「多時代説」が唱えるような1万年前という過去ではなく、奇妙にもその半分以下の年数を示すのである』1.)

 これについて、多時代説を支持する学者は、「宇宙世紀後の世界では、モビル・スーツといった軍事兵器も、全て極小作業機械(ナノマシン)技術を応用し製造されていた。最終戦争の末期に、ターンAによって起こされた『文明圏の崩壊』或いは、『ナノマシン・ハザード』と呼ばれる事件によって、ナノマシン技術を使用していたモビル・スーツは全て跡形もなく消え去った」と述べています。
 
 確かに、それはターンAが持っていた「月光蝶」と呼ばれるシステムであれば可能であったでしょう。しかし、この説も又、多くの議論を呼んでおり、事実であったかどうか定かではありません。しかし、発掘された「モビル・スーツ」が宇宙世紀の時代に撮影されたものと思われる映像にも映っていること。また分析の結果、非常に酷似した機体であることが分かりました。この物的証拠によって、私はこの「三時代説」を主張するようになりました。

 もう一度、念のため言いますが「三時代説」が果たして真実なのか、それはわかりません。もし、宇宙世紀後と正暦の間に製造された「モビル・スーツ」や物的証拠が発見されれば、「多時代説」が決定的な事実となるでしょう。しかし、それが見つかるまでは、私はこの「三時代説」を唱えつづけようと考えております。それが、より黒歴史学を発展させ、さらには人類史の解明に貢献出来ると思うからです。

 皆様、今日はこのような話をお聞き下さって誠にありがとうございます。またこのような機会があれば、是非とも講演させて頂きたいと思います。
1.)タディー・ホリス「宇宙的兵器の起源」(ヌエ・ガリア社、2402年)204‐205頁。
注意:この文章は完全に管理人の創作です
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送