第1話 記憶

「・・・あれは絶対河だよ!!」
「バカじゃないの?何で、お月様に河があるのさぁ?」
「でも、誰が何と言おうと、あれは河なんだよぉ!!」
「もう、ネフなんてほっといて、帰ろうぜ!あいつ、頭おかしくなっちゃったんだよ」

 満月の下、一人の幼い子供が同年代の友達にからかわれ泣いていた。それは、どこにでもある風景だった。ちょっと違う光景といえば、泣いている子は、ずっと人差し指を天にかざしていることだろうか。

 泣きべそをかいている子供を残して、からかうのに飽きたのか同年代の友達がその場を去っていった。一人残された子は、涙を必死に片方の手で拭いながらも、人差し指を天に向けたまま小さく呟いた。

「あれは、河だもん・・・あのおじいちゃんが言っていたもん」


正歴2355年 冬

「先生、どうかしたんですか?」

 聞き慣れたハスキーな声が、鼓膜に響いた。いつの間にか授業を止め、思い出に浸ってしまっていたようだった。辺りを見まわすと、この数ヶ月の間、自分が担当してきた教室内だということに気が付いた。

「いいえ、何でもありません。じゃあ、授業を続けます」

 暗闇の中で光り輝く月。その真中には、一筋の銀色の線が走り、キラキラと光っている。それは、「銀の縫い目」――シルバーステッチと呼ばれている。
 20年前であれば、そのシルバーステッチが実は「月の河だ――実際には、人工的に作られた運河だが――」と言っても、誰も信じる者はいなかった。さらに、その下にはトレンチ・シティと呼ばれる、都市が存在するなどと言ったら、きちがい扱いされただろう。

 近代史の授業の中で、月面運河都市の説明をしていたら、ふとネフ・レージュは、昔自分がからかわれていた事を思い出した。授業を進めながらも、ネフは月に河があるという事実を、幼かった自分に教えてくれたある人物のことを思い出した。


 あれは、確か暑い夏の日の夕方だった。一人で川遊びをしていた所に、白髪のおじいさんが、じっと自分が河で遊んでいるのを見つめていた。恐くなり、足早に家へ帰ろうとすると、老人は突然独り言を自分にも聞こえる大きさの声で語り始めた。

『お月様には、大勢の人間が住んでいてな・・・』

 うろ覚えだが、そんなような言葉で老人は話し出した。その口調は、とても穏やかで、老人の口から出る一つ一つの言葉は真実味を帯びていたのを、まだ幼かった自分でさえ感じ取ったことを記憶している。

『目の前にあるような、河もお月様にはあるんだよ。それも、お月様をぐるっと一周する河がね・・・』

 幼いネフ目を輝かせながらは、その話に引き込まれ、老人の横に座り相づちを打っていた。老人の話を聞く内に、空は黒く模様替えをしていた。話しながら老人は立ちあがり、夜空に浮かぶ満月を指差し、月には地球に戻ることを願っている人が大勢いることなど、月に関する多くの不思議な話を語ってくれた。

『坊や、今日私が話したことを誰にも言っちいけないよ』
「え、何で?本当なんでしょ?おじいちゃんが話してくれた事は?」
『ああ本当だとも。でもね、誰もおじいちゃんの言う事なんて信じてくれないんだよ。人っていうのはね、自分が手に入る情報から偏見を生み出し、決して真実を知ろうとは思わないんだよ。ましてや、その真実が自分たちを不快にさせるのだったら、なおさらだよ』
「う〜ん、難しくて分からないや・・・」
『ごめんな坊や。ただ覚えておいて欲しいのは、真実というのは必ず存在するってことだよ。でも、ほとんど表に出ることはなくて、自分で発掘することが必要なんだよ』
「う〜ん・・・」
『坊や、君がこのことを理解できる日は必ず来るよ。それと、周りのみんなも今日おじいちゃんが語った事を理解できる日もね。それまで、このことは坊やの中にだけ、しまっておいておくれ・・・』

 その後、あの老人に再び出会うことはなかった。幼い自分は、老人が言った通り誰にも言わないと誓ったが、数ヶ月後の冬に友達との口論で、うっかり口を滑らせてしまった。結局、友達にからかわれたことで、老人の話しを自分は心の奥深くにしまい、あの日が来るまで思い出す事はなかった。



「過去の悲惨な人類史を記憶から消し去り、緩やかなに発展を築く地球に住む人類。そして、黒歴史という名の、人が背負うにはあまりにも重すぎる過去を一身に背負い、地球への帰還を夢見て2000年以上の時を過ごした、もう一つの人類「ムーンレィス」・・・」

「・・・その両者が10年前、『北アメリア大陸』で出会うこととなった。その結果、もたらされたもの。それは、双方の闘争心を、長い眠りから目覚めさせることとなった。その結果、ムーンレィスと地球は対立し、戦争へと発展した。ムーンレィス戦乱である」

 教科書の文章を読み終え、質問がないかと生徒に聞こうと口を開く前に、再びハスキーな声が、教室中に響き渡った。学年の中で、3本の指に入る優等生のエレン・スティックルだった。

『先生!質問です!』
「はい、エレン。どういう質問ですか?」
『え〜っと、先生って、確かそのムーンレィス戦乱の時に、北アメリア大陸にいたんでしたよね?』
「はい、いましたよ。丁度、今の君たちと同じ年代だった」
『その体験談を聞かせて欲しいです。ねぇ、みんな聞きたいよね?』

 エレンは、教室にいる同級生30人の同意を得ようと、ぐるりと教室を見まわした。成績も優秀だが、リーダーシップも強い、というよりは強制力があるのもエレン・スティックルだった。満場一致でエレンの提案は可決され、教室の全視線がネフに注がれた。エレンも、ネフの思い出話を今か今かと目を輝かせ待っていた。

「みんなに話してあげたいんだけど、今日はもう時間がないので、またいつか話します」
「な〜んだ、つまんない」

 珍しくクラスの全員が声を合わせた。すぐ後に、授業が終わるブザーが鳴り、ネフはそのまま終礼を終えて、帰宅する生徒を見送った。職員室に戻り、今日行った小テストの採点をしてから帰路につくことにした。

 もう学校を出た頃には、日は落ちて真っ暗だった。澄んだ空気を一杯に吸いこんで、老人と出会った時と同じような満月を見上げた。「綺麗だな」と呟きながら、満月の方向へと歩いていたら、ある場所へ足を運んでいた。

 二つの満月が目の前に現れた。こうこうと黒い空に浮かぶ満月、そして、ゆらゆらと湖に反射している満月の姿だった。この湖は、シド湖と呼ばれている。(しかし、実際には海にまで続く湾であったが)このシド湖が、目と鼻の先にあるので、ネフが務めている高校もシド高校と呼ばれていた。

 オスラリア大陸に教師として来てから、シド湖に満月の夜足を運ぶのは、ネフの習慣となっていた。今夜も、同じように月を指差し呟いた。

「真実は自分で発掘するもの・・・」

 あの老人の言葉だった。結局、ネフが教師になったのはあの老人との出会いからだった。人類の歴史、真実の歴史を皆に伝えたいという強い思いが、ネフを教師にさせたのである。もう一度、自分が教師になった原点を降り返るのが、シド湖に来る理由でもあった。

 決意を再び固め、身体が冷えてきたので、そろそろ帰ろうとした時、何かが足に当たった。何だろうと、ネフは足元に目を向けた。一見、ただの岩だと思っていたら、その岩の表面の一部がボロッとはがれ落ちた。

 不自然に思い、岩の違う部分を蹴ってみた。すると、蹴った岩の箇所がぼろぼろと崩れ落ち、ある物体の全容が月光に照らされた。その物体は、ある物――第9次黒歴史技術段開放協定に基づき、最近売りに出され一大ムーブメントを巻き起こしている「ビデオキャメラ」と呼ばれる小型映像記録装置――に酷似していた。
 先日、電気屋で実際に手に取ったのでよく覚えている。さすがに、3ヶ月分の給料を払ってまで買いたいとは思わず、結局買うことなかったが。

 不良品か何かで、こんな所に誰かが捨てたのだろうとネフは推測した。壊れているだろうと思いつつも、ネフは吸いつけられるようにその物体を手に取ってみた。よく見ると、その表面はまるで新品のように月光に照らされ輝いていた。そして、そのビデオキャメラの横に文字が刻まれているのに気が付いた。

「・・・アナハイム・ホームエレクトロニクス、0078年製?なんだこれは?」
 
 こうこうと輝く満月を背にし、この文字に疑問を覚えながらも、ネフはビデオキャメラを手に家へと足を向けた。このビデオキャメラが、ネフの人生の歯車を狂わせていくとは知らずに。

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